ためこんでいる題材へのロードマップ

これまでTwitterにはいろいろと投げてきたのですがまとめたものがなく、後から史料が出てきたり思わぬ発見があったりなどしてきたので、まずは書きたい題材のロードマップを作ろうかと思います。

書きたいものはいっぱいあるけどまずは最推し

松殿基房の情報整理をします。
Twitterでも書いていたのですが、大河ドラマやアニメの影響で気力が失われているもので、いろいろ見てはいるのですがなかなかこれだと思う情報がまとまらず。

一次史料である
『兵範記』『愚昧記』『玉葉』『山槐記』『吉記』『明月記』『三長記』『愚管抄
辺りが情報源であるところは変わりないのですが、まず捨てなければならないのはこれの内私情が入っていない史料は『吉記』『三長記』くらいしかないという事実。
そこを少しずつ整理しながら私的(二次的として)な意見で書きたい。
それから、血脈の再構成が最優先かもしれません。

ふと思ったのは、基房は別に歴史に刻むほどの人物ではないので血脈は必要最低限でいい。一級史料で十分。ということなんでしょう。

確かに知られると困りそうなネタもありますし(特に藤原定家の家系の辺りで)、『尊卑分脈』の情報をひっくり返すような考察とかあったり。

ただ思ったことは、基房は何故正室を変えたのか、の疑問は単純だったかもしれない。

史料については、宮内庁書陵寮や東大史料編纂所にある日記も見ています。
例えば『民経記』は基房の最初の正室公教女のその後や死去辺りがわかります。『民経記』作者である藤原経光は、二男家房の乳母子の子孫と繋がりが深く、姉が公教女家の女房となったりしています。そして家房に娘がいたこともこの日記から読み取れます。『明月記』にも一度登場しており、その時も家房の姫君と書かれているので、家房の娘と思われます。「姫君」と書かれているため最初は基房の娘かと思ったのですが、恐らく公教女が養女にしたのか「姫君」と書かれたのではないかと推察しています。

簡単な家系図を作りたいと思ったのですが、どうしても複雑化してしまいます。
その理由についても今後の更新でわかるかと思います。

蛮族というけれど貴族も武官が存在する

大河ドラマ『鎌倉殿の13人』を見ている方ならわかると思いますが、坂東武者や義経などのありようが蛮族で命が軽すぎる。

と思っている方は多いと思います。
今頼朝の流れである清和源氏の分離(家の設立)とそれに何故か付随する武官貴族の事件を調べていて、あまりにも蛮族すぎて流罪されまくりです。
とある家系の血筋を引いていることから、仲間に引き入れられたり競合してあげくは殺害に至ったり、さらに盗賊まで現れる。
とても楽しい系譜です(ニッコリ)。

その一方で頼朝や実朝は和歌、頼家は鞠、と貴族と同じことを嗜んでいるので、たぶん研究者の先生もその線で行くのではないかと思ってますが、そもそも祖先である経基王歌人でしたし、摂津源氏の流れは歌人を多く輩出していて、その長であった源頼政平正盛や忠盛、その息子とも和歌で交流していたほどでした。清盛だけが異質だったという。それゆえに白河院落胤説が絶えないわけですが、それは置いといて。

よくわからないことばかりなので、下級官人や危ない武官や盗賊たちの記録をまとめた本でまず確認してから、もう少し考察しようかと思っています。

とても気になります、歌人

基房の家司で「愛人関係」にあった藤原顕家は六条藤家の出自で、その祖先を調べると面白い人物に出会いました。ただ傍証が取れていないので妄想ではありますが。
その彼から顕家の時代までは調べ中です。
清輔の母親の家系についてもとてもすごい経歴を持っている人物にぶち当たるにも関わらず、系図に存在しないためどこの家系の人間か未だに確認が取れない有様。研究者も史料がないので匙を投げたのだと思っています。

その六条藤家よりマイナーな歌人の家系を追いかけています。
のちに信濃小路家と呼ばれる家司の一族なのですが、実は祖先から鎌倉中期頃まで歌人を輩出しているのが確認できます。
ただ時代を下ると、地下人と呼ばれる殿上人になれなかったところまで落ちているため、歌の記録が乏しくなったと思われます。
実は基房の二男家房の乳母夫や乳母子はその一族で彼らは歌人です。後白河院北面で記録があったのと、当時「歌林苑」というサロンがあり、身分関係なく歌を交わし合ったようなのです。そこに家房の乳母夫と乳母子、その親戚が出入りしていたことから記録が残ったのです。

また祖先でも「和歌六人党」と呼ばれた(時代によって呼び方が異なり人物も変わりますが)中にいた人物がいました。妻となった女性も歌人だったこともあり、父親のように私家集はないのですが名前は残ったといった感じでしょうか。

大まかな流れはこの三つから

ここから細かいネタに派生していく予定です。
箇条書きだと多すぎるし重複も多いので結局まとめるとこの三つが大きな題材で、あとは枝葉が分かれています。

他にも調べたいことはたくさんあるのですが、それはそのつど追加していく感じでいく予定です。

蛇足

本当なら借りてるレンタルサーバーで新たにブログで作ってやれ!って話なんですが、見切り発車で始めたのでここで十分かなと。
いきなりサーバー契約終了したら、データすらなくなってしまうのでその時も困りますし。
デジタルタトゥーは残ると言われますが、それは拡散される悪しきものであって、本当に残しておきたいデータは正直紙や別の何かに遺した方がいいのでは思います。無料ホームページサービスが軒並み終了して消えていったデータがアーカイブで残っていますが、そのサービスもいつまで続くものか。そもそもデジタルデータの保存期間は短いです。レンタルサーバーも定期的にサーバ移動を呼びかけ移動しているのも、運営しているハードウェアの劣化や速度、保存状態の問題からだと思っています。

はてなさんのところもたぶん裏側ではメンテナンスを名目にハードウェアの交換をされていると思ってます。他のサービスでも変わらないと思います。あとは物理的な破壊ですね。それは自分自身HDDが壊れて復旧サービスに出した過去があるのでわかります。

まぁどこまで残るかはわからないですが、とりあえずメモ代わりに始めたいと思います。

なんかすごい長い蛇足でした。失礼。

このブログを始めるにあたって

このブログは幾つもの戯言のひとつかもしれない

はじめまして、の方ははじめまして。

私は幾つものブログやサイトを運営しています。
今回開設したブログとは方向性が異なることや、新規にカテゴリを作ってもやるものかどうかずっと悩んできました。

はてなブログを使った本ブログの源流はほんの小さな哀しくも痛い叫びを書き綴ったブログでした。
更新をやめたのは会社を辞めたため。
その件については別ブログのほうで更新しています(停滞してますが)。

歴史や古典再熱と『時代もの』の緩衝を避ける

最近再び火がついた歴史や古典を題材を書き留めておくところが欲しくなりました。
それがこのブログです。

主にTwitterで呟いていた内容のまとめ、および訂正・更新、これまでためこんで考えていた事柄、妄想考察中の内容まで。

ただし、大河ドラマや時代劇、いわゆる時代ものについての感想は書きません。
周り(特にその時代のクラスタたち)は平安末期から鎌倉時代へと時代がシフトしていて、みなギアが入りまくっていて楽しそうです。

私の最推しが松殿基房なので彼が出てこないとも限らないし、出ないとしてもその時代を生きた人物(かつ『鎌倉殿の13人』の主人公北条義時よりも長生きする)なので、気にならないのは嘘になります。

ですが、公式ガイドブック前編を見た限り、最も出そうな部分で出ないことがわかってしまったので、純粋に作品を楽しんでいます。

とにかくメモしておける場所を

薬や年齢で脳がマルチタスクではないので、少しでもメモしておける場所を作りたくて始めました。
最悪、他のブログが吹っ飛んだ(金が払えなくて運営ができなくなった、とか)場合も保険にもなりますし。

なんで他のサービスではなくはてなブログなのか、ですがもともとはてなユーザーだからです。
最初に書いた通り、いろいろあって辛かった頃のブログが封印(限定公開中で公開予定なし)しており再スタートがこのブログになります。
はてなグループがあった頃はシューティングゲーム(シューター)部に所属していたので、そちらのブログもあったんですけど、グループがなくなったのは残念です。

今でもお金があったらシューティングゲームやりたいです。
きっと今脳内で矢がぴゅんぴゅん飛んでます(そういうのじゃない)。

今「何が始まるんです?」「」的な状況ではあります(きっとこの言葉が消えることを願いながら)が、私は脳内に思ったことや疑問に思って調べたことなど書いていこうと思います。

ちなみに

一場春夢、の意味を知っていますか?
平家物語」の

おごれるものは久しからず、ただ春の夜の夢のごとし

と同じです。